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遠見岬神社 御朱印/千葉県勝浦市 [御朱印 神社 千葉]

遠見岬神社御朱印

遠見岬神社ひなまつり御朱印.jpg


【神社概要】

■遠見岬神社(とみさきじんじゃ)

創建年:不詳

御祭神:天冨命(あめのとみのみこと)

旧社格:郷社

例大祭:9月13日(9月第三土曜日)

参拝日:平成29年2月25日

ご利益:水難除け、海上安全、大漁満足、厄災除け


【遠見岬神社御由緒】




社伝によると、御祭神天冨命は、神武天皇の勅命を奉じ阿波(現在の徳島県)の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波に住む忌部一族を率いて海路を黒潮に乗り、紀伊を経て房総半島南端の布良の浜に上陸され、祖神である天太玉命を祀る社を建て、麻や穀(かじ)を植え開拓を進められました。そして、麻がよく育ったところを総の国(後の上総・下総)穀の木がよく育ったところを結城郡(現在の茨城県結城市)と名付け、阿波忌部の住んだ所は後に、安房国と呼ばれました。
安房の開拓を終えた天冨命は、その後当地においでになり遠見岬(現在の八幡岬)突端の冨貴島に住まわれ、先住民に農業・漁業・建築等の技術を教えました。天冨命がお隠れになった後、天日鷲命の後裔である勝占忌部の須須立命が天冨命の居跡に社を建て、開拓の祖神として御神霊をお祀りしたのが当社の始まりと伝えられております。また、勝占忌部が住んだこの地は後に勝占(現在の勝浦)と呼ばれました。
時代は下り、慶長6年(1601年)大海嘯により社殿は決壊し社宝の多くを流失してしまいます。御神体と決壊した御社殿は尊磯の浜に流れ着き、一時宮谷に祀られ、萬治2年(1659年)当時の勝浦城主植村土佐守泰朝公により現在の地に遷座されました。尚、現在の社殿は嘉永2年(1849年)の造営です。旧社地はその後、元禄16年(1703年)の大地震により海没し、現在は一部が残されているのみです。
勝浦は漁業の発展と共に、江戸時代には「勝浦三町江戸勝り」と例えられたほど繁栄し、当社は近郊の領主はもとより漁業関係者を始め、全国より多くの崇敬を集めました。御祭神天冨命は、開拓の指導者としての幅広い御神徳をもち、また東京より巽の吉方(東南)に鎮まる神社として、今もなお多くの信仰を集めております。


【遠見岬神社御朱印授与所】

社務所、初穂料:300円

御朱印帳あり、初穂料:1,500円

遠見岬神社御朱印帳

遠見岬神社御朱印帳.jpg


【神社情報】

鎮座地:千葉県勝浦市浜勝浦1

最寄駅:JR外房線勝浦駅

駐車場:あり




千葉県勝浦市に鎮座する遠見岬神社の御朱印です。房総半島を開拓したと云われる天冨命をお祀りしている神社です。この地に派遣された勝占斎部須須立命(かつらいんべすすたつのみこと)がその霊を祀る「遠見岬神社」を建立したと伝えられており、この勝占の名が「勝浦」の地名の由来と言われています。


はじめ八幡岬突端富貴島の天冨命の居跡に社殿を建立しましたが、慶長6年(1601年)の津波で流され、宮ノ谷に再建、さらに万治2年(1659年)現在の場所に建立されています。


毎年2月下旬から3月上旬にかけて、市内各地で約3万体以上のひな人形が飾られる「勝浦ビックひなまつり」が開催されます。遠見岬神社も会場のひとつで、社務所前の60段の階段に1800体ものひな人形が飾られ、「勝浦ビックひなまつり」の一番の名所として多くの観光客が訪れます。


神社から徒歩3分ほどの場所では勝浦朝市が開催されます。朝市の歴史は古く、輪島、高山と並び日本三大朝市と呼ばれており、地元の人から観光客まで多くの人に親しまれています。


御朱印は社務所にていただくことができます。また、社務所前の60段の階段にひな人形が並ぶ様子をモチーフにした御朱印帳も頒布されております。



【遠見岬神社地図】



【遠見岬神社画像】

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